エッセが管理するロイヤルステージ24の近く、札幌競馬場が今年、リニューアルオープンしました。みなさん、競馬場と言えば、競馬新聞片手に赤ボールペンを耳に挟んだおじさんが、険しい顔をして闊歩している、そんなイメージをお持ちではないですか?
違うんです。いまや競馬場は女性のためのグルメ街、子供のための遊園地と化しています。
現在、札幌競馬場は残念ながらオフシーズンですが、それでも場外馬券売り場として、土、日は大勢の家族連れで賑わっています。
10月26日にクラシック3冠レース最終戦、菊花賞が京都競馬場で行われ東日本大震災の日に生まれた3番人気のトーホウジャッカルがコースレコードで優勝しました。
この馬は2歳の夏に腸炎を起こして体重が50キロ近くも減少し、生死の境をさまよい一時は競走馬としてのデビューすら危ぶまれる状態だったと言います。その後は回復したものの、この腸炎によってトレーニングセンターへの入厩が3歳の3月末と、通常では考えられないほど遅れることになりました。
こうした生い立ちから心情的支援も集めているのでしょう。
菊花賞では金曜日の前々日売りで、1人によって単勝約200万円が集中的に買われるなど、一時1番人気となりました。最終的に単勝6.9倍、3番人気となったためレース後には1380万円前後の高額払戻しとなり新聞紙上を賑わせました。
競馬には背景にいろいろな物語があります。
トーホウジャッカルが生まれたのは東日本大震災当日の2011年3月11日。場所は北海道日高町の竹島幸治牧場、大津波警報が出ている最中だったと言います。従業員3人の小さな生産牧場馬のG1初制覇は、大手牧場の生産馬がほぼ独占状態の中央競馬重賞レースにあって、どれほ
どの喜びかは想像できないほどです。
どの喜びかは想像できないほどです。
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1995年6月4日、第36回宝塚記念は「運命の宝塚記念」と言われ、競馬ファンにとってはとても悲しい出来事となりました。
名馬ライスシャワーは3番人気に支持されレースでは後方を進みました。的場騎手は最初のコーナーを回った時点で様子がおかしいと感じ「今日は勝つどころじゃない、慎重に回ってこようと」考えたと言います。第3コーナーでライスシャワーは自らスピードを上げましたが、直後に前のめりになり、いったん身体を起こした後に転倒。左第一指関節開放脱臼、粉砕骨折を発症し、診療所まで運ぶことができず、その場に幔幕が張られた中で安楽死の措置となりました。的場騎手は軽い打撲だったことから、その最期を看取り、担当の川島厩務員は手綱を握りしめたまま泣いていたと言います。
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1996年3月9日、第44回阪神大賞典はナリタブライアンとマヤノトップガン、2頭のマッチレースが繰り広げられたことで、中央競馬史上の名勝負の1つに挙げられています。サラブレッドは賢いので、通常一度抜かれると戦いをあきらめます。しかしこの2頭は違いました。抜かれても抜き返し、さらに抜き返すのを400メートルにわたって3回繰り返したのです。最後はナリタブライアンがアタマ差でマヤノトップガンを退けましたが、3着馬との差は9馬身にもなりました。
年間8,000頭くらいのサラブレッドが生産されています。1年間で1勝もしなければ、翌年が無い競走馬たち。1年間未勝利の彼や、彼女には、辛くて厳しい現実が待っていることを忘れてはいけません。
(平塚 彰)