2012年3月29日木曜日

おかげ様で!【個人通信】

この3月に、「フローラ中の島」が完成、入居が始まりました。
「1LDK」と「2LDK」の広めの27戸です。

最近のトレンドでもある、オール電化を採用し、セキュリティーにも気を配りました。

何と言っても最大の特徴は、地下鉄南北線「中の島駅」直近、
実は、地下鉄ホームへの入口エレベーターが、エントランスの横にあります。

これは、中々あるものではないですよ。

3月半ばには、すぐに満室となり、今でも問い合わせがあります。
 
これから入居のピークを向え、皆様方の新しい生活が始まえいます。

これからは、しばらく見ることの出来ない、最上階からの展望をご覧下さい。

中島公園方向


都心方向


藻岩山方向


あまり天気が良くなかったようです。気分だけでもよろしく。

近々、エッセサービスのHPも衣替えします。チョトだけ

 寄って行ってください。


 

北9条オフィス   得字

2012年3月21日水曜日

『長崎の少年』【個人通信】


昨年「長崎原爆資料館」に行ってきました。

その時の心を揺さぶられた出来事をお話したいと思います。



どの展示も押し迫る迫力がありましたが、私は最後に展示されている「少年の写真」に大きな衝撃を受けました。




この写真は、原爆が落とされてまもなくの1945年9月、廃墟の長崎で写されたものです。
撮ったのは米空爆調査団のカメラマンとして日本を訪れた、ジョー・オダネル軍曹。


以下は、彼がこの写真を撮ったときの回想インタビューからの引用です。



『佐世保から長崎に入った私は、小高い丘の上から下を眺めていました。
すると白いマスクをかけた男達が目に入りました。
男達は60センチ程の深さにえぐった穴のそばで作業をしていました。
荷車に山積みにした死体を石灰の燃える穴の中に次々と入れていたのです。


 
10歳ぐらいの少年が歩いてくるのが目に留まりました。
おんぶひもをたすきにかけて、幼子を背中に背負っています。
弟や妹をおんぶしたまま、広っぱで遊んでいる子供の姿は当時の日本でよく目にする光景でした。しかし、この少年の様子ははっきりと違っています。
重大な目的を持ってこの焼き場にやってきたという強い意志が感じられました。しかも裸足です。
少年は焼き場のふちまで来ると、硬い表情で目を凝らして立ち尽くしています。
背中の赤ん坊はぐっすり眠っているのか、首を後ろにのけぞらせたままです。


少年は焼き場のふちに、5分か10分も立っていたでしょうか。
白いマスクの男達がおもむろに近づき、ゆっくりとおんぶひもを解き始めました。
この時私は、背中の幼子が既に死んでいる事に初めて気付いたのです。
男達は幼子の手と足を持つとゆっくりと葬るように、焼き場の熱い灰の上に横たえました。
 まず幼い肉体が火に溶けるジューという音がしました。
それからまばゆい程の炎がさっと舞い立ちました。



真っ赤な夕日のような炎は、直立不動の少年のまだあどけない頬を赤く照らしました。
その時です、炎を食い入るように見つめる少年の唇に血がにじんでいるのに気が付いたのは。
少年があまりきつく噛み締めている為、唇の血は流れる事もなく、ただ少年の下唇に赤くにじん
でいました。
夕日のような炎が静まると、少年はくるりときびすを返し、沈黙のまま焼き場を去っていきました』



この写真についてこれ以上の説明は必要ないと思います。




戦に破れ全てを失ったとはいえ、死体となった弟を背負い頭をもたげてまっすぐ前を見る健気な
少年に人としての誇りを感じ、涙なしには見ることが出来ませんでした。


今回は少し重い内容でしたが最後まで読んでいただきありがとう御座いました。



営業部 中山



2012年3月14日水曜日

もうすぐ春ですね~【個人通信】

3月も中旬となり、ようやく日中の気温もプラスになる日が増え
春の気配を感じられるようになってきましたね。


月寒公園のボート池の氷も融けてきました。



春と言えば、新居での生活を始められる方も多いと思いますが、
最近の物件は、火を使わない、IHクッキングヒーターが増えてきていますね。

吹きこぼれてもサッと拭くだけできれいになるのでお手入れが楽ですよね
ところが、トッププレートは、使っているうちに、焦げ付きや頑固な汚れのために
美しさが損なわれます。
ただ布巾で拭くだけでは、どうしても黒ずみ、焼け焦げがついてしまいます。                  





そこでお手入れ、掃除方法についてなのですが、
近頃は、IHクッキングヒーター専用のクリーナー(ホームセンターで1,000円程度)も
ありますが、クレンザーを使って簡単に掃除ができるんですよ。



サランラップにクリームクレンザーをつけます。










サランラップで黒ずみ、焼け焦げが付いているところをこすります。
そんなに力を入れなくてもきれいになりますよ。



こんな感じで全体を磨きます。
固くしぼった濡れタオルなどでキレイにふき取ってください。















綺麗になったでしょ。


                        これでいつも気持ちよくお料理が作れますね。  

                         もうすぐ2歳のエルフ                 ティ・エイ・シー・ティ 高橋

2012年3月7日水曜日

マッチ箱【個人通信】

引き出しの奥からマッチ箱を見つけました。
外箱も中箱も木製で中には10本ほどの軸が残っています。




















(これは結構古いんじゃない? もしかしてプレミアモノか?)

淡い期待を抱きつつ、ネットにて外箱の文字をすべて連ねて検索するもそれらしきヒット無し。
「並型Y」「扇印燐寸」「三晃物産株式会社」と検索を繰り返すうち、マッチに関する年表の中に「三晃物産株式会社」の文字を発見しました。

それによると、日本でのマッチ製造は、明治8年ごろ欧州留学中にマッチ製造を研究していた清水誠という人が、帰国後始めたのが本格的なマッチ製造らしいです。
その後順調に生産を増やし、マッチは重要輸出商品の一つとなりましたが、欧州との競争や戦時下の「統制会社令」等で合併等を繰り返し、戦後「統制会社令の廃止」をへて、昭和22年に「三晃物産株式会社」が誕生しています。
昭和29年頃から中箱が経木製から紙製へと変わり始め、昭和31年頃から外箱も経木から紙製へと変わり始めたとのこと。
今ではマッチを見かけることはほとんどなくなってしまいました。

そういうわけで、私の持っているものは、昭和22年頃から昭和29年頃のものと思われ、それほど古いものではないと判明してしまいました。

(残念!)

引越しシーズンですね!
みなさん面白そうなものを見つけても、調べるのは荷物の整理が終わってからにしましょう。

函館支店 藤田