2014年12月10日水曜日

「ニッカウヰスキー余市蒸留所」に行ってきました【個人通信】

10月からNHKの朝ドラで放送が始まった『マッサン』の舞台となる北海道余市にある「ニッカウヰスキー蒸留所」へ小学生の時以来 何十年か振りに行ってきました。
ニッカ創始者 竹鶴政孝さんがスコットランドにウイスキー製造技術を勉強に行ったとき知り合って結婚したリタさんが「まさたか」と発音できずマッサンと呼んでいたことからこのドラマの題名になったとのことです。


正面玄関










スコットランド留学中に書き残した「竹鶴ノート」




『マッサン』こと亀山政春のモデルとなった   竹鶴政孝さんは、1934年(昭和9年)に余市で「ニッカウヰスキー」の前身となる
会社「大日本果樹株式会社」を立ち上げ
ました。『余市』は北海道の西に位置し、
海も山も近い町で夏でも平均気温が低く
冷涼で湿潤で霧が立つこの場所は
ウイスキーを熟成させるうえで最適な自然
環境であったようです。
年間を通して温度差が少ないことが
重要とのこと。でも、きっと奥さんの「リタさん」が寂しくないように生まれ育った「スコットランド」に風景の似たこの地に決めたのではないでしょうか?


またウイスキーは、製造を開始してもすぐに製品ができるわけではなく、出荷までに数年を
要します。そのためウイスキー事業が軌道に乗るまで、リンゴジュースを売って資金のやり
くりをする事業計画であったようです。本物志向の政孝氏の作った果樹100%のリンゴジュース
は品質は良かったけれども値段が高くてあまり売れなかったようです。
「余市」は明治初期に入植した旧会津藩士が開拓を始め、民間によるリンゴ栽培を日本で初めて成功させた地で、今では余市のリンゴは全国に知られるまでになりました。
現在でも受け継がれている品種「緋衣」は、会津藩主・松平容保が孝明天皇から下賜された  
「緋の御衣」がその名の由来であり、余地のリンゴの歴史を物語っています。


旧事務所

「大日本果樹株式会社」の資金を出してくれたのが妻のリタさんが英会話を教えていた生徒の夫、加賀証券社長の加賀正太郎という人でした。加賀正太郎と加賀の友人の2人が株主となってスタートした会社でしたが昭和29年に加賀氏が不治の病に倒れた時、もう一人の株主とともに全株式をアサヒビールに売却し、それ以降アサヒビールの子会社となっています。





これが、竹鶴氏がスコットランドに留学して、 学んで帰ってきて独自に日本で作らせた銅製の蒸留器・・・
「ポットスチル」です。石炭の直火炊き蒸留器はこの余市にしか残っていないとのこと。石炭のくべ方で温度を調整するため職人技が必要とのことですが、蒸留器の底に少し焦げ付きが残り、その香りが独特のウイスキーの深みを出すそうです。









蒸留されたウイスキーは、オーク材の樽に入れられて長い年月をかけて熟成されて行きます。
熟成されたウイスキーは、一樽一樽みな味も臭いも違うそうです。その味の違うウイスキーをブレンドして出荷するそうです。同じ樽からだけ作ったウイスキーを「シングルカスクウイスキー」と言うそうで余市蒸留所でしか販売していないとのこと。




『竹鶴氏と妻リタさんが暮らした私邸』














                                                                                          
夫の夢を実現させるため、スコットランドから家族の反対を押し切ってまで、当時からすると本当に勇気のいることで何も知らない遠い国、日本にやってきたリタさんの愛の強さってすごいな~。
イカの塩辛や梅干も作っていた日本人より日本人らしいスコットランド人「リタさん」に感動です。




    久々に登場・・・『エルフ』です、4歳になりました。因みに先祖はスコットランド本土の近い
    シェットランド諸島原産です。



(営業企画部:高橋)