2018年7月2日月曜日

宝塚記念【株式会社エッセ・社長の400字エッセイ】


6月24日、競馬ファンにとっては上半期を締めくくる大一番、宝塚記念が阪神競馬場で行われた。暮れの有馬記念は有名だが、宝塚記念も有馬記念と並ぶファン投票型のグランプリレース。1995年のこのレースは「運命の宝塚記念」と言われ、今でも多くの競馬ファンにとっての語り草だ。

ライスシャワー。
所有は当時の栗林運輸会長・栗林英雄氏。命名には秋篠宮様の結婚祝賀の気持ちと、結婚式のライスシャワーのように、この馬に触れる全ての人に幸福が訪れるようにとの願いが込められたと聞く。ミホノブルボンのクラシック三冠を阻止、メジロマックウィーンの天皇賞(春)三連覇を阻止し刺客」の異名を取った。
第3コーナーを回った直後に転倒、左脚を粉砕骨折。診療所まで運ぶことができず、その場に幔幕が張られ安楽死の措置。的場騎手はその最期を看取り、川島厩務員は手綱を握りしめたまま泣いていたと言う。

生まれ故郷の登別・ユートピア牧場にはライスシャワーの墓が、育成牧場の千葉県・大東牧場には記念碑がある。そして、1995年1月の阪神・淡路大震災の影響で、この年の宝塚記念は例年開催の阪神競馬場ではなく、ライスシャワーが得意とした京都競馬場への変更開催で行われたため、京都競馬場にも記念碑が建立された。あの震災がなければライスシャワーの宝塚記念出走はなかったかもしれない、と多くの人が言う。

宝塚記念が終わるこの時期になると、私はライスシャワーゆかりの地をはじめ、日高の牧場めぐりを楽しむ。清々しい北海道の初夏と相俟って最高の気分転換だ。